人が成長するということ

気づき

敢えて「成長」と表現したが、人は、どこを目指しどこへ向かうのだろうか。

子どもの頃は、褒められるのが嬉しくて、いわゆる記憶モノを一生懸命覚えたり、筋トレに励んだりしていた。何でもできるようになるのが楽しかった。

だが、年を取るにつれて、記憶するということは苦手になってくるし、根気も衰える。

健康維持のための筋トレは良いが、必要以上にする気にはならない。

それじゃぁ、何を以て、人の成長というのか。

歳をとって、何を上達すればよいというのか。

わたしは、「純化」という概念を持っている。

純真のまま生まれ、純真で死にたいのだ。

その中で、いらないものをくっつけて、それを捨てていく人生なのかもしれない。

たくさん身に着けてきてしまった、重たい「自分への設定」「こうだと決めつけている世界観」。

こんな不自由なものを、認めるだけで、世界は少しずつ変わる。

それをわたしは自己浄化(クリアリング)と呼んでいる。

浄化をすればするほど、自分のことがよく知れる。

自分を知れば知るほど、世界を知ることになる。

世界には、あなたとは違う人がたくさん存在する。

その多様性も認められるようになる。

そこから、他への愛のまなざしが生まれ、慈悲が生まれる。

成長を望まなくても、ただ、いまの自分を認めるだけで、人生は善き方向へ進むのだ。

それは、愛の学びとなる。

その過程を「純化」とわたしは呼ぶ。

歳を重ねるごとに、透き通った人になりたい。

歳を重ねるごとに、美しく、純粋になりたい。

これは20代の頃から意図してきたことでもある。

だから、人生は透明で美しい宝石のようになっていく、と信じたい。

光あふれるのは、内側に曇りがないから。そんな人生を創りたい。

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